南原竜樹社長のどん底伝説

南原竜樹社長!

昔『マネーの虎』で有名だった南原竜樹社長が、
さんま岡村が日本の長さんにここだけの悩み聞きましょか!?SP
に出演することで話題になっているようです。

たくさんの伝説を持つ南原竜樹社長ですが、
個人的にはどん底時代がエピソードが
一番インパクトが強い思っています、

ということで、早速調べてまとめました!

山谷ありすぎな経歴

1984年、24歳のときに自動車輸入業を開始。

高級車の安売りで売上高100億になり、
2001年~2004年に日テレの「マネーの虎」に出演。

マネーの虎が終了してから約1年後の2005年4月に
経営の柱だったローバーが経営破綻したことでどん底が始まります。

私の頭には「倒産」「自己破産」の言葉が浮かびました。

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伝説のどん底生活

倒産は会社の歴史を捨てると同時に、多くの人に迷惑をかけることになります。私は借金を返し、会社を再建する道を模索しました。それには、規模を小さくしてゼロからやり直すしかありませんでした。

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この時すでに30億の借金が出ています。

しかも翌月以降は売上無しに、買掛の支払いを行っていかなければいけません。

つまり、毎月さらに数十億円ずつ借金が増えるのです。

考えただけで、震えますよね。

ヤバすぎる状況です。

全社員263人を解雇する日、最後の挨拶をした時には涙が溢れました。事業もカネも失いましたが、人を失うことの辛さは何と表現していいか未だにわかりません。

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南原社長はこの時生まれて初めて人前で嗚咽したそうです。

南原社長は社員をとても大事にする方で、常識はずれのボーナスも非常に有名です。

それだけ大事にしてきた社員を、即日全員解雇というのは
大変なストレスだっただろうと思います。

ちなみに、収入はゼロでも毎月1億づつ返済しなければいけない状況です。

宝くじの並の大金を毎月一人で作り出さなくてはいけないんです。

先日まで目の前の高層マンションの住人だった私が、その下の公園にさえ入れないホームレスになったのです。

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追い打ちをかけますが、当然住む家もありません。

とりあえず家の前の公園のベンチに横になった時、いつも顔を合わせていた守衛さんに
公園には入らないように注意されたそうです。

もちろん守衛さんは南原社長が止まる家がないことを知って、
あえてそのような行動をとっています。

この守衛さん以外にも、周りの知り合い全員に同じような態度で
接されたことは間違いないでしょう。

私なら、つい2-3日までの華やかな生活から、
この様な毎日を生きていかなければならなくなったら、
自殺を考えるかもしれません。

というか、ほとんどの人は考える前に反射的にやってしまう気がします。

しかも、南原社長は自己破産していないので、
この仕打ちにただ耐えているわけではありません。

この仕打ちの中、新しい事業を立ち上げて仕事しています。

資産を売却しきる前に、返済に必要な1億円を
毎月生み出せるようにならなければいけないからです。

人間は泣きながら歩くと坂道を登れないんだと気づきました。

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逃げ出さずに立ち向かった姿勢は凄まじいと思いますが、
体も心も限界を超えていたのでしょう。

食事は1日に50円のカレーパン一つとか、そんな感じだったそうです。

生活保護やリアルのホームレスの方よりも侘しい食事です。

・・・すごいどん底っぷりですよね。。

今振り返ってみても、なかなか震えがきます。

南原社長はここからまた100億に返り咲いています。

多くのメディアはこの復活劇にライトを当てますが、

私はむしろこのどん底の時代にこそ南原社長の魅力が感じられます。

復活劇は、グリコのおまけみたいなものです。

以上、久しぶりに話題になっていたので振り返ってみました。

少しでも話題作りのお役に立てたらうれしいです。

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